「ネット規制よりもユーザーによる制裁を」とはどういう意味か
「ネット規制よりもユーザーによる制裁を」という記事について.
はてなブックマーク(「はてなブックマーク - ネット規制よりもユーザーによる制裁を - 池田信夫 blog」)は記事を書いた池田さんへの批判に溢れているが,私にはほとんど全てのコメントが的外れに思える.
特に,私企業(はてな)による自主規制と,政府による規制をごっちゃにして,区別していないコメントについてだ.
上記記事の中で重要なのは,
こういう連中が、高市法案のような官憲の介入の口実になり、
という部分である.タイトルの「ネット規制」とはこのことだ.
これが実際にどの程度危惧すべきことなのか,本当に官憲介入の口実になるのか,については,ほとんど誰も言及していない.
自殺した人の話と「死ねばいいのにタグ」の話は別だろう,という批判は本質的じゃない.それが本当に結びつくかどうかなんてことは,たいした問題ではない.
「政治家がそれを結びつけるか否か」が問題なのだ.
そして,池田さんはこう言っている.
こういう場合、ゲーム理論でよく知られている制裁は、彼らのreputationを落とし、市場からたたき出すことだ。
そう,
『「死ねばいいのに」なんていう表現を意識的に放置している企業は問題であり,これを規制する新たな法律が必要だ.だから,政治家に働きかけるべきだ』
とは言っていないのだ.
「官憲の介入の口実」を全くの杞憂であると判断するなら,それはいい.
だが,はてなユーザーは,表現の自由を規制するためのロビー活動を行っている人間が実在することは,すでに知っているはずだろうと思う.
蛇足ながら,私自身はもちろんあらゆる規制に反対である.
また,はてなが気軽に罵倒タグをつけられるという価値を提供していること,はてなユーザーがその価値を享受していること,そのこと自体には何の問題も無いと考える.
同様に,はてながその価値提供を止めることも,全く構わない.それがユーザーやスポンサーの「制裁」によるものならば.あるいは何か別の経営的な理由からならば.
つまり,政府による規制が理由でない限りは.