チケット所持者に本人確認をしても良いし、従業員に長時間労働を課しても良い
チケット転売は経済的には問題はない
そもそも「チケット転売」には、商売として何も非難されるべきところはない。「ニーズがあるモノを安く仕入れ、高く買ってくれる人に売る」という行為は商売の基本である。むしろ、そのチケットを本当に欲しい人が、より高いお金を払えば手に入れられるようになる分、功利的と言える。
Defending the Undefendable | Mises Institute
「チケット転売問題」の真の問題(上)~転売価格は不当なのか?~
チケット転売は感情的には受け入れ難い
ただ、上のまとめにもあるように、どうも人々の感情的には、受け入れ難いようである。転売を阻止してやりたい、転売業者も転売されたチケットを買う奴らも許せない、という思いが感じられる。
そして、そういう感情を持つ人が多いのであれば、その感情に即した商売の仕方、すなわち多くの人を満足させる商売の仕方が、市場から望まれるだろう。「余計なコストをかけてでも厳密な本人確認を行う」というのは、そういう方法の一つである。
これもまた、非難されるべきものではない。
従業員に長時間労働を課す企業の話
例えば、ある従業員がやると10時間かかる作業がある。ところが、同じ作業を、別の従業員が1時間で終わらせたとする。10倍の速さである。一体どうやったのかというと、時間外に私費で勉強して獲得したスキルを使ったらしい。そうすると、その作業は格段に速く終わるのだそうだ。
ところが、その企業は、10時間かけて作業する従業員の方を高く評価した。1時間で終わらせた従業員は冷遇され、会社を去った。
なぜか? その企業の論理は、次のようなものだ。
「お金さえ出せば何をしても良い、という考え方は受け入れられない」
「本当にその作業が好きなら、長時間を費やすことも苦でないはずだ」
「その作業が本当に好きな人間が、その作業を担当すべきだ」
そういったわけで、この企業では長時間労働が横行している。
結論
上の例え話の企業経営は、果たしてうまく行くだろうか? 経済的には、コストが余分にかかるために競合に負け、その結果、長時間労働は市場から淘汰されるかも知れない。しかし、必ずしもそうとは限らない。
狙い通り、仕事が本当に好きな人だけが従業員として集まり、それが良い評判につながり、顧客を獲得し続けるかもしれないではないか。
これは、チケットの本人確認も同じことである。外部サービスによる利便性の供給を拒み、購入者の個人情報を曝け出させたり、確認にかかるコストをチケット代に転嫁したりすることも、結果として良い評判につながるかも知れないのだ。
つまり、本人確認も長時間労働も、自由に行えるべきだ。そして、その結果の判断もまた、市場に委ねられるべきである。
人間の赤ちゃんが「自分では何もできないうちに生まれてくる」理由は、その方が親の頭が良くなるから
例えばキリンの赤ちゃんは生まれて1時間程度で立ち上がり、1日以内に自分で敵から逃げることも可能になる。猿の赤ちゃんは、母親に自分でしがみつくことができる。
一方、人間の赤ちゃんと言えば、もう救いようのないほどに、何にもできない。なのに、成長すればキリンや猿なんかより(大抵は)ずっと頭が良くなる。
なぜ、人間の赤ちゃんは、自分では何もできないうちに生まれてきてしまうのだろうか?
その理由として「人間は知能が高いので頭が大きく、胎内で成長し過ぎると、産道を通れなくなってしまうから」というのは聞いたことがあったが、それだけではない、という話が The New Yorker に載っていた。
頭の大きさと知能の関係は、赤ちゃんが早く生まれてくるためのインセンティブとなる。しかし、そのサイクルを実際に回しているのは、「成熟までの時間」と知能の関係かも知れない。
世話をする対象の生き物が何もできなければできないほど、世話役は頭が良くないといけない。つまり脳がより大きくないといけない。そうすると、出産時の脳の大きさには生理学的に制限があるので、赤ちゃんはより何もできない状態で生まれて来る必要がある。こうしてサイクルが続くのである。
つまり、「頭が大きいから早く生まれてくる」というのはサイクルの一側面であって、サイクル全体を考えた時、赤ちゃんが何もできないことは、頭の大きさを誘引しているというわけである。
なるほどね、という感じではあるが。
このモデルが本当なのかどうかを調べる一つの方法として、双子(通常妊娠期間が短く、従って成熟までより長い時間がかかる)は頭が良いか、そして双子が親になるとより頭の良い赤ちゃんを生むか? という話が紹介されている。
さあ、どうでしょうね。
吉田沙保里が負けたのは「相手の方が強かった」から
これを確かめるのと前後して英語と日本語の記事を見ていたが、日本語記事の方は、「落とし穴があった」「最後は勝てるだろうと思っていた」など、油断していたことを匂わせるようなコメントばかりが取り上げられている気がした。テレビを見ても、泣いて謝る姿ばかりが映しだされているように思う。
でも、吉田自身は試合直後、負けた理由をこう言っていた。「自分より相手の方が強かった」と。
その「相手」であるヘレン・マルーリスは、本来は吉田より階級が上の選手である。そしてこの2年間、公式戦で一度も負けていない。吉田はマルーリスに過去2勝しているが、2012年以降対戦していない。
今回のオリンピックで、マルーリスは、53kg級出場のために「御影石の像から骨を削り取るような」苦しい減量に耐え抜いた。その上で、対戦相手としての吉田を研究し尽くしていた。そして吉田を尊敬していた。
「過去2年間、吉田を倒すことについて話し合ってきました」マルーリスのコーチ、バレンティン・カリカは述べた。「彼女のトレーニングは全て、吉田を倒すためのものでした」
(中略)
吉田を研究するうちに、マルーリスは吉田を敵というよりも理想像として見るようになった。マルーリスは、吉田の勤勉さ、勇気、謙虚さに感服し、嫌うことなどできなくなった。準決勝でマットソンを下すよりも前に、マルーリスは吉田と対戦できるならどんなに名誉なことか、と考えていた。
(中略)
「私たちは、吉田を尊敬し過ぎないよう、注意する必要がありました」カリカは言った。
U.S. wrestler Helen Maroulis faces down legend Saori Yoshida to win gold - The Washington Post
「日本選手団の主将としての責任感がのしかかっていた」「勝って当たり前という重圧があった」なども理由の一つではあるだろうし、紹介すべき価値のある話だと思う。
だが、「自分より相手の方が強かった」という、相手に敬意を表した潔いコメントが、なぜあまり日本語記事にならないのだろう。
吉田は試合後、負けた理由を問われても言い訳をしなかった。
「自分より相手の方が強かった」と彼女は述べた。
「もっと早いうちに、もっと素早い攻撃を仕掛けるべきだった。でも、自分より相手の方が強かった」
Helen Maroulis becomes first ever US woman to win Olympic wrestling gold | Sport | The Guardian
最低賃金を上げるべきでない4つの理由
「Four Reasons Not to Raise the Minimum Wage」より。
職が失われることになるから
― 職が失われるというエビデンスは、最低賃金導入初期から現在に至るまで確認されている
- 1938年に導入された25セントという最低賃金は、大幅な失業を生み出した。
- 近年、アメリカ領サモアにて実施された最低賃金引き上げの経済的影響は大きく、オバマ大統領は引き上げ実施を保留する法案に署名することになった。
- David NeumarkとWilliam Wascherによって2006年に行われた、最低賃金に関する100を超える研究の調査によれば、約2/3の割合で就業率にネガティブな効果が認められた。
- Joseph SabiaとRichard Burkhauserは、2010年に次のような推定を行っている。:「連邦政府が最低賃金を時給9.50ドルに引き上げた場合、130万近くの職が失われる」
スキルの低い労働者にとって害となるから
貧困の減少にほとんど効果がないから
― エビデンスは、最低賃金が貧困を減少させないことを示唆している
- Mark Wilsonによる2012年の調査によれば、前回の連邦政府による時給5.15ドルから7.25ドルへの最低賃金の引き上げの恩恵に浴することができた貧困家庭の労働者は15%だけだった。今日、最低賃金が時給9.50ドルに引き上げられた場合、恩恵に浴することができるのはわずか11%である。
- Wilsonによる2012年の調査はこう述べている:「1995年から、8つの研究が最低賃金による収入と貧困への効果を検証しているが、1つを除く全ての研究において、過去の最低賃金の上昇は貧困に対して何の効果もなかったと結論づけられている」
- Wilsonによる2012年の調査はこう述べている:「最近の1つの学術的研究によれば、2003年から2007年に行われた州および連邦政府の最低賃金引き上げは、州の貧困率に対して効果がなかった」
確かに、ペンの力は弱くなっている
鳥越氏が言う「ペンの力」とは、「急ごしらえの知識で書いた記事でも、かつては世論を動かすことができた」という意味だ。事実誤認やバイアスがあっても読者からの批判に容易には晒されず、マスメディアが世論の頭上に聖域として君臨することを許されていた時代のことだ。
彼は、「国民は騙されている」と思っている。かつて魔法のように効いた力が弱まり、国民の目を覚ますことができない。新聞も雑誌もテレビも、そして選挙活動でも、残念ながら国民の考えを変えさせることはできなかった。昔ならカンタンにできたのに、ペンにはそういう力があったのに。
残念ながら、時代は後戻りしない。今やネットは、良かれ悪しかれ大きな力を持っている。ネットを無視して世論に影響を与えることはもうできない。実務家であれば、そういう現実も直視できたはずだった。しかし、一度手にした魔法の力に縋る人間にとっては、無理な相談だったのだろう。
「古き良き時代」を懐かしむのは、老人の特権である。が、できれば懐かしむだけにしておいて欲しいものだ。
デンタルフロスはニセ医学
以前BBCで読んだ話だが、Chicago Tribuneにこんな記事が。
アメリカ歯科協会(ADA)は1908年からずっとフロスの使用を推奨しているが、当時大した根拠があったわけではない。今も根拠は明確でない。アメリカ政府の食生活指針からは、フロス使用の推奨が削除された。
にも関わらず、「リスクもコストも低い。効果があるかも知れないのでオススメする」というのは、医学的にとても不誠実な態度ではなかろうか。