奇跡なのか、必然なのか
なぜ、宇宙の年齢は百六十億年なのか?
この一見無意味な、突拍子も無い問いに対する答を、実は我々は既に手に入れている。
ところが、ここに、100回どころか、何万回、いや、何億回も宝くじに当たり続けるほどの、とてつもない奇跡が存在する。
それは、「あなた」という存在である。
あなたが、何気なく、澄んだ初秋の青空を見上げ、「ああ、今日も気持ちよく晴れたなぁ」と、心地よく感じることができる確率は、数兆の数兆倍のさらに数兆倍のそのまたさらに数兆倍分の1以下の確率なのだ。
あなたが存在しているという事実。その事実は、あなたを取り巻く環境の全てが現在のようになっているからこそ、生じたものだ。あなたが存在していなければ、あなたはそれを奇跡だと考えることはない。
換言すれば、あなたが存在しているからこそ、あなたはあなたが存在していることを奇跡だと考えることができる。あなたがいなければ、別の誰か(何か)が、自らが存在していることを奇跡だと考えるのである。
果たしてそれは奇跡か、それとも必然か?
「我々が観察すべく目に入っているものは我々観察者が存在するのに必要な条件を満たさなければならない」
ブランドン・カーター
冒頭の問いに答えよう。
宇宙の年齢が百六十億年なのは、我々人間が宇宙に生まれ、進化し、その年齢を推定できるようになるまでに、それだけの時間がかかったからだ。よって、それ以外の値をとりようがない。