一般人が「げんしけん」を読んで疑問に思ったこと


げんしけん(1) (アフタヌーンKC)

げんしけん(1) (アフタヌーンKC)

前置き


げんしけん」を面白がって読んでいる時点で一般人ではないという気がしないでもないのだが、客観的にオタク的活動をしていないというただそれだけの意味なので、その辺は置いておいて欲しい。

げんしけんは面白いです


率直に言って、非常に面白い漫画だと思う。

もちろん、実体験に照らし合わせてどうということではない。私は文化系の部活動やサークルに所属したことはないし、コミケの類に行ったこともない。この漫画に一貫して流れている独特の雰囲気のようなものを肌で感じたことは全くないと言っていい。

つーかオタク同士の友情だの恋愛だのが実際どうなのかなんて知る訳ない。


したがって私がこの漫画を面白がる理由は、知らない世界を垣間見せてくれるから、そしてその世界が私にとってある種憧れの対象であるから、だと思う。こういう世界が現実にあるのかどうかは知らないが少なくとも「ありそう」と感じさせてくれる漫画であることは確かだ。

これはコアなファンに比べれば非常にもったいない楽しみ方なのだろうと推測するが、まあそれは仕方がない。面白いものは面白いのだ。*1 *2 *3


しかしながら、知らない世界だけに、いろいろと疑問に思うところもある。*4


それを、ここで言語化してみようと思う。

オタクの性的欲求


げんしけんには物語の最初から「成人男性向けの同人誌」が重要なアイテムとして出てくる。第一話でいきなりドッキリの小道具となる。エロゲも然り。それと対比される春日部さんも含め、オタクの性的欲求がこの漫画の主題の一つであることは明白だと思う。少なくとも私はそれを意識せずに読み進めることはできなかった。

冬コミ新刊の無い正月休みなど……
 暇で暇でしょーがない!!!!」

斑目さんの発言(げんしけん(4) (アフタヌーンKC) より)


春日部さんを含む彼らの会話の中には自然と「その手のモノ」の話が出てくる。これがまず私には疑問だった。と言うか、違和感があった。

オタクって、そういう話を仲間内で堂々とするものなのか? むしろそれは体育会系のノリなんじゃないのか? ……あー、ほかに話すことがないのかな?

いやいやプラモデルとか格ゲーとか色々あるじゃん。あるいは性的願望とは切り離された「萌え」ってのもあるけど、それ、どうなの? やっぱ本質的には切り離せないものなの?


……みたいな。


だけど、すぐに気がついた。


一番最初に出てきた「成人男性向け同人誌」。その作り手となる人々がいて、その人々は商業的な動機以外のものを以ってその作り手となっており、ということはその人々と彼ら現視研メンバーとは同じような文化を共有しており、ということはつまりそういう類のモノはまさに彼らの仲間内で語るべきものとして存在していなければならないのだ。


そりゃそうだ。


そしてこれは、例えば体育会系が男同士の付き合いのスパイスとしてエロ話をするのとはワケが違う。つまりこれはものすごく特殊な世界のお話なのだ、と思った。

大野さんのコスプレと荻上さんのやおい


で、本題。

大野さんはコスプレが大好きなのだが、性的欲求を伴っていない。*5

つまり普通の趣味みたいなもんだ。

「そんなキャラを汚すような事はしません!!」

大野さんの発言(げんしけん(4) (アフタヌーンKC) より)


彼氏とコスプレHをしているのか、という問いにマジギレする大野さん。


一方、荻上さんはやおいが大好きで、そこには性的欲求を伴っている。

荻上さんは自分がそういうオタクであることを恥ずかしく思っていて、コミフェスでやおい本を出すことをためらう。荻上さんの自己否定は中学時代の出来事がトラウマになっていることから生じるものだったのだが、この時点においてはそれは置いておいていいだろう。

「この私の恥ずかしい妄想を……
 形にして世に出すの……?」

「……そんな事ばっか考えちゃって……
 ダメなんすよ……」

荻上さんの発言(げんしけん(7) (アフタヌーンKC) より)


それに対して大野さん。

「……」

「そっか……」

荻上さんがやりたい事は
 私より困難な道なんですね……」

「確かに自分の性的な空想を世の中に発表するなんて
 考えてみればすごいですよね……」

大野さんの発言(げんしけん(7) (アフタヌーンKC) より)


そりゃそうさ。

あんたのコスプレとはワケが違うんだ。


と私は思った。


と思ったらその直後、大野さんはなにやら可もなく不可もないような一般的なお話を展開し始め、荻上さんの悩みは何となく解消されてしまったような感じになる。


私はそこに疑問を抱いた。すごく。


あれれ? 大野さんのコスプレと荻上さんのやおいはそんな風にメタにまとめて語られるものなの? 両者は地続きなの? こっちから見るとそこに凄いギャップがあるように感じるんだけどそんなものは単なる一般人の思い込みなの? つーか俺個人の錯覚か? 別に疑問を感じるようなところじゃねえのか?


仮に、荻上さんが極度に性的欲求を伴うコスプレイヤーだったとしたら。大野さんと荻上さんは、地続き的なオタクなのか? 二人は同類なのか? 二人は分かり合えるのか? だとしたらどんな展開になるのか?

まとめのようなもの


8巻まで通しで読んだのは漫画喫茶で一度だけ、さらにこのエントリを書くためにもう一度ざっと読み返しただけの私にこの漫画を語る資格など全く無い気もするが、そんなことはどうでもよくてこの日記には私の思ったことを書くだけなのでそんなことはどうでもいいのである。


で、思ったことは書いてしまったのだけれど、大野さんのコスプレと荻上さんのやおいを区別する言葉がもし定義され定着したならば、私にとってすごくわかりやすい、ということになるのだった。


しかし、そんな言葉は必要とされていないようだ。ということは私の疑問は疑問足りえないものであるのだろうということでこの話は終わらざるを得ない。


最終巻の発売が楽しみだ。買わないけど。

*1:もちろん、微妙な共感を覚えるところもあることはある。が、それはきっとオタクの人がこの漫画を読んで覚えるそれとは比べ物にならないほどつまらないものだと思うので、ここでは触れないでおく。

*2:それから、「あーオタクどもはこの辺に共感を覚えるのであろうな」という風な読み方もしてしまう。それが面白いのかどうかはさておき。

*3:ちなみに、一般人としての春日部さんには共感できなかった。まあ当然か。

*4:以前「性的欲求を伴うオタクとそうでないオタクをはっきり区別する言葉」というエントリに少し書いたことだ。

*5:屈折した願望があるのかも知れないけどそれは読み取れなかった。