動物園
コアラが見たい,と言われて動物園に行ってきた.
動物園は大人が楽しむ場所,と北杜夫は言っていたが,私はいまだ大人になりきれていないらしく,どうも動物園というものが好きになれない.
キリン,それから象が,狭い展示スペース内を歩いているのを見た.
高地にいるらしい鹿のような牛のような動物は,確かに人工的に積み上げられた岩の上にじっと座っていた.
鶴のつがいは,翼を切られて飛べなくしてあった.
周囲には子供連れが多かった.
子供たちはそんな動物を見て,大喜びであった.
上野動物園のパンダが死んだと言う.
それについてどう思うかというインタビューに,テレビで小さな子供がこんな感じで答えていた.
「天国でも,みんなの人気者でいてね」
死んだらさすがに別のことをさせてやりたいと思う.
私は好んで肉を食らうし,特に動物を愛好しているわけでもない.
動物園には野生では生きられない動物も多くいるだろうし,希少動物の生態調査や繁殖など,いろいろと役に立ってもいるのだろう.
何が面白くて駝鳥を飼ふのだ。
動物園の四坪半のぬかるみの中では、
足が大股過ぎるぢゃないか。
頚があんまり長過ぎるぢゃないか。
雪の降る国にこれでは羽がぼろぼろ過ぎるぢゃないか。
腹がへるから堅パンも食ふだらうが、
駝鳥の眼は遠くばかりを見てゐるぢゃないか。
身も世もないように燃えてゐるぢゃないか。
瑠璃色の風が今にも吹いてくるのを待ちかまへてゐるぢゃないか。
あの小さな素朴な顔が無辺大の夢で逆まいてゐるぢゃないか。
これはもう駝鳥ぢゃないぢゃないか。
人間よ、
もう止せ、こんな事は。
高村光太郎 ぼろぼろな駝鳥
私は詩人ではないので,動物園の動物がどんなことを欲しているかなど想像することはないし,相対的に考えれば別にどうということもない.
ただ,展示されている動物というコンテンツを,娯楽として捉えるにはどうすればいいのか,私にはよくわからない.