なぜスマートだと感じるかというと葬式が面倒くさいから

何故日本人はこの死亡広告を読んで「格好いい」と言ってしまうのでしょうか。

何故これを理想的な生き方、スマートな生き方だと感じてしまうのでしょうか。

ラブラブドキュンパックリコ - ある天文学者の死亡広告


この死亡広告を出すことで、家族は後ろめたさを感じることなく葬式をしなくて済む。


故人が「葬式はしなくていいぞ」と口で言ってたって、結局やるはめになるのが葬式。親族もうるさく何やかやと言うであろう。


また、身内で葬式をやらないことに決めたからと言って、知り合いが香典持って現れたら対応しないわけにも行くまい。


でもこの広告を読んだら、さすがに皆遠慮するだろう。


その上でその遠慮した人の気持ちに配慮して、「何かしたいなら手紙を書いてくれ」と言ってる。手紙を読むだけなら家族の負担もそれほど増えないし、手紙を書く当人にとっても形ばかりの葬式に参加して飯食って酒飲んで帰るよりよっぽどうまく気持ちの整理ができる。


以上を職業的ユーモアと職業的信念とを絡めて故人の遺志=ワガママとして押し通す。これは、かなりスマートなやり方だと思う。この人がどんな生き方をしてきたのかは知らないが。


ま、そのうち、こんなことしなくてもいいように葬式のやり方はもっと自由になるでしょう。やらない人も増えるだろう。みんな、葬式仏教なんて信じちゃいねえからな。