こういう問題

また、実証的というか経験的観点からは、慈善的な福祉観や福祉的措置(民間であれ国家であれ)が、確かに障害者の生存を保障した一方で、いかにすさまじい障害者差別と障害者「福祉」を実現してきたかという歴史的事実を考慮すべきだと思う。そしてこういった問題を「国家による官僚主義」のみに起因させることができないという歴史的事実を検討すべきだと思う。

続・リバタリアン宣言 - 研究メモ


民間も国家もどっちもいいことも悪いこともあるよ、という話なのかな。


どっちがよりマシなのか帰結主義的立場からは当然考えられているんだろうけど、実証的にって言われると弱いんだろうなあ(という印象がある)。

もっとも、マシかどうか判断する基準が行き着くところが結局「神学」になっちゃうなら、もうどうすればいいのやら。たとえば自己所有権を侵さない限り差別なんて全然問題無いよって主張があるだろうし。


あと、子供の権利とか。こういう問題に自分の中で納得の行く答えを出すには何をどうすればいいのか。