ニセ科学

うしとみしよぞ - 視点・論点「まん延するニセ科学」


水からの伝言」とは実生活で関わりが無いのでよくわからんが、マイナスイオンゲルマニウムもよく耳にするし、あとは例えば江原なんとかのスピリチュアルとか細木数子の占いとか。


もちろんああいうのは単なる娯楽であってそれ以上のものではないから放っておけばいいということで終わりなのだと思うが。


根っこには、「科学で認められたものしか受け入れられない」=「心が狭い」と言う風に思われることに対する心配があるのではないか。スピリチュアルを信じた方が世の中楽しいのに、それをあえて信じないなんてつまらない狭量な人、みたいなね。


つまり、道徳的にはニセ科学すら受け入れるほうが懐の深い善い行い、という感じがしてしまうわけで。

しかし「一般人に対する説明」は違うのだ。「それでは何を信じたらいいのですか?」という質問にまで答えてあげないと、答えたことにならないのだ。「水からの伝言を信じるな」というのは、だから説明責任の半分しか果たしていない。そこで「誰からの伝言なら信じてもよさそうだ」ということまで伝えてはじめて一般人は「納得」するのだ。

(中略)

一つ提案がある。「ここまでなら信じてもよさげリスト」というのを、科学者一同で作ってみたらいかがだろう。


404 Blog Not Found:道徳やしつけの根拠は自然科学にある


科学の成果だけ並べ立てても傲慢なイメージが強まるだけのような気がする。そして、そのリストをうまいこと避ける楽しげなニセ科学が後から後からどんどこ出てくる気がする。


むしろ、そのリストに載せる載せないを科学者が判断するであろう基準がいかに狭量と対極にあり、謙虚さが必要とされるかを「道徳的に」広めるのは無理なんだろうか。


例えばいまだに相対性理論が間違っていることを確かめるべく世界中で実験がされてるなんて話は、科学者が疑い深いってことではなくて、それだけ疑われても全然気にしないというかむしろ疑ってもらってウェルカムみたいな態度が科学なんだってことで。疑い方が精密であればあるほど、みんな真面目に相手するし。*1

なんて心が広いんだ。もし江原何とかとか細木数子がそんだけ疑われたら、ブチ切れるでしょ? みたいな感じで。

*1:「科学」と「科学者」の峻別は必要だな