コストを負担しているのは政府ではない
「効率的市場」という場合に私が一番違和感を感じるのは、その市場そのものを運営するためのコストがどこにも登場しないことだ。しかしこれは無料じゃないことは明らかで、そして誰が運営しているかといえば市民であり政府である。累進課税というのは、その点において正当化される考えだと思う。市場からもっとも多くを享受している者が、もっとも多くの費用を負担すべきだというわけだ。
政府は、何も負担してなどいない。負担しているのはあくまで個人だ。
そして、個人に市場の利用コストを負担させるのであれば、単に利用者に対して利用に見合った料金を払わせるだけで良い。そのコストは、税金に対する正当化などになりはしない。
「豊かさの誕生」で挙げられている近代経済成長の四要素のうち、最も重要なのは私有財産権である。
無論、私有財産は泥棒や強盗によって脅かされるから、警察や司法制度、あるいはそれに類するものは不可欠である*1。市場の運営についてもまた然り。
しかしながら、我々はまた次の事実にも考えを至らせるべきだ。歴史上、私有財産権は常に政府によって脅かされてきたのだ。債権の強制的な放棄や様々な商品の独占販売権の恣意的分配、
そして課税によって。
とはいえ、それが収入の7割とか9割ともなると、さすがに「つきあいきれない」となるだろう。
(中略)
だから、ストックの課税が重要になってくる。それも生きている間であればまだ「逆風時のためのバッファー」とか「年金の原資」といういいわけも成り立つが、死ぬまでストックしているのは明らかに「非効率」なのだから。
Libertarianism@Japanさんのところにあった、先日逝去したミルトン・フリードマンの言葉。
Governments can most effectively collect taxes on things that can't move. That's why property taxes are invariably the first tax.
政府は動けないものから税金を最も効果的に徴収することができる。だからこそ、財産税は常に最初に作られる税である。
*1:ただしそれを政府が運用する必要があるかどうかは別問題だ