臓器移植と、それに対する恐怖
もしそんなことになれば、社会は非常に危険な事態に陥ると思います。
病院で勝手に脳死と判断され、自分の身体が自分の意志とは関係なく勝手に
切り裂かれるということになれば、社会はとてつもない恐怖に包まれるでしょう。
なぜ、とてつもない恐怖に包まれるのだろうか?
自分の身体が自分の意思とは関係なく病気になり、移植しないと治らない状況だって、恐怖を生むはずだ。その状況がこの法案によって克服されやすくなるのであれば、恐怖は減少するだろう。
要はバランスの関係であり、病気の人を含めた社会全体の幸福を考えるべきである。
そもそも、我々は自分の意思とは関係なく常に命の危険に晒されている。例えば、自分がたまたま交通事故で死亡する確率は一体どの程度なのか、考えた事があるだろうか? いつ交通事故に遭って死ぬか分からない我々の社会は、「とてつもない恐怖に包まれている」だろうか? 「脳死する確率×ドナーにさせられる確率」が「たまたま交通事故で死ぬ確率」と同じぐらいだとしたら? なぜ前者にだけ恐怖する必要があるのか?
……という主張は筋が通っているが、既に「臓器移植クジ」で書いたのと同様に、おそらく多くの人はこの法案に反対するだろう。
ドナーはあくまで自発的意志によるものであるべきであり、国家が人を勝手に
臓器移植のストックにしてしまうようなことは、絶対にやるべきでないと思います。
「ドナーはあくまで自発的意志によるものであるべき」理由は、社会全体の恐怖の増大とは関係が無い。