それでも自由を志向したい

世界は偉人の基準で出来てはいないと誰かが言い残したが、それと同様、平均的なホモ・サピエンスの行動遺伝学的特徴も、倫理学者や哲学者の基準では出来ていない、多分。

シロクマの屑籠(汎適所属) - 地域コミュニティが消失し、流動性と自由度の高い社会が訪れた果てについて

全くもってその通りだと思うし、自由なんてとんでもないという観点もアリだと思うし、要はうまいことバランスを取っていかなきゃねというのが一番説得力がある、と思える。思えてしまう。


それでも。


私は、誰がどう言おうと自由は大切だから大切にすべきなのだ、という信念を持ちたいと思う。「帰結的にうまくいくこと」を志向しても、結局のところは何がどの程度うまく行くか実験や検証のしようが無いし、様々な議論があってなかなか結論が出ない。考えるのをやめろとは言わないが、その場その場での個別案件対応に終始して結果判断に偏りが生まれたり一部既得権益者の恣意性が入ったり、まあ色々と問題があるのは私もご承知の通りであって、要するにうまくいかないとしてもそれはそれで構わない、例えば自由を第一に考えた結果人類が滅ぼうがそれでも自由は大切なのだ、と心底思えるようになりたい。