募金を詐欺だと主張したくなる理由
じゃあ聞くけど、あなたは先天的な難病で毎日高額な医療補助を受けてる人は
死ねばいいと思ってるんだ。
私がその人を助けるために拠出しても良いと思う金額は、おそらくその人を助けるのに必要な額とは直接関係がなく、自分が「これぐらい払えば、助からなくても良心が痛まない」と思える額になるだろう。自分の生活のすべてを犠牲にするつもりもない。換言すれば、人のためではなく、自分のためにお金を払うのだ。
「死ねばいいと思ってるんだ。」
究極的にはYESと答えざるを得ない。
もちろん、少しずつの善意の積み重ねで、助かる命もある。それはわかるが、無邪気にそれを主張するには、私はあまりにも多くの命を普段から見殺しにしている。
中東では、凄惨な殺し合いが続いている。アフリカでは、何万という人々が飢餓とエイズで死んでいく。「あなたはこの現実から目をそむけるのですか?」と、青年は尋ねた。今から十年ほど前のことだ。
私はその問いに、生真面目に答えた。
世界じゅうで今も、罪のない命が失われていることは知っている。しかしそれは、私の人生とは関わりのない出来事だ、と。
私には、僅かな関わりがある。心にほんの少し、罪悪感という名の波風が立つ程度の。
それを掻き消すために、例えばある募金を詐欺だと主張したくなることもまた、むべなるかな、である。