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かけ算の順番と、助数詞について

以前、かけ算の順番についてこんな皮肉を書いた。(当然ながら私は順序否定派である。)正直なところ、この話題に関して今更付け足したい新見解など私にはない。みんな黒木先生のサイトを見れば良いと思う。

 

ところで、先日「Open ブログ: ◆ 掛け算で単位を書くべきか?」という記事を読み、後者に下記のようなブクマコメントを残した。

 

「8の単位は(円/冊)であり、50 の単位は (冊) である」と見なすことはありえない。→ それがあり得る(文章が理解できない子供がいる)ので、じゃあどういう風に教えましょうかね、という話なのだが。

 

すると id:blueboy さんから

 

「ありえない」は「論理的にありえない」「論理的に成立しない」という意味。

 

という指摘が入った。

 

しかし、これは、文章が理解できない子供がいる、という意味でありえるのとは別に、論理的にもありえるし、成立するのである。「助数詞を安易に単位扱いしない方がよい」と黒木先生らしき人が上記ブログのコメントに残している理由に関連するのだが、例えば「掛け算順序問題の画期的な解決方法 - novtanの日常」やそのブコメなどを読んでも、あまり理解されていないように思える。

 

例えば、「うさぎが3羽います。耳の数は全部で何個でしょう?」という問題の式を、

 

3×2

 

としたとする。さて、3の助数詞は「羽」だ、それ以外は論理的にありえない! として良いのだろうか?

 

無論、ダメだ。「右耳が3個、左耳も3個あるから、3(個)×2(方向)」という説明が「論理的にありえる」からだ。

 

あるいは、もっと簡単に、「子どもが1列に4人並んでいます。列は5列あります。子どもは全部で何人いますか」という問題。そのまま4人ずつ5列と考えても良いし、「横から見たら5人ずつ4列だ」という説明にも、何ら論理的矛盾はない。

 

1冊50円のノートが8冊、という上記ブログ記事の問題については、思考の抽象度をもう少し上げる必要がある(少なくとも私にとっては)。1冊のノートを、1円分の価値を持つ部分に50等分したとする。(本当に切ってしまったら価値を減ずるかもしれないのであくまで概念上の話だ。)便宜上、50個の「部分」にそれぞれ(1)〜(50)と番号をつけよう。すると、1円の(1)が8個、1円の(2)も8個、という風に、8個合わせて8円の「部分」が、それぞれ50個あることになる。さらに8円の「部分」を1冊のノートとして作る、と考えても良い。つまり8には「円(上記ブログ記事に従うなら円/冊)」をつけ、50には「冊」をつけて数えることも、論理的には可能なのである。

 

別の例は「トランプ配り」で容易に見つかる。助数詞と式は一意に定まることなどない、ということを理解して頂けると思う。

 

もちろん、上記のような考え方のできる、つまり元々教えようとしていた「1つあたりの数がいくつ分」という概念を理解している、という子供であっても、こんなひねくれた考え方をする奴には算数の理解度なんてものにかかわらずバツをくれてやった方がいい、その方が本人の今後のタメである、という意見はあるだろう。それを紹介するのが、私が最初に示した皮肉である。