臓器移植クジ

ハリスは臓器移植の技術が大変発達したと仮定して、次のような強制的な臓器提供のくじの制度を提案する。―――社会のメンバーのうち健康な人々はすべてくじを引く。彼らの中から無作為に選ばれた当選者から、健康な臓器を病人に移植する。そうすれば、一人の健康な人の犠牲によって二人以上の病人が助かるから、現在よりもはるかにたくさんの人々が長生きできるようになる。ただし不養生で病気になった人は自業自得だから、臓器移植の受益者になれない―――。

森村進 自由はどこまで可能か=リバタリアニズム入門 (講談社現代新書)


臓器移植クジは、お金ではなく、命の再分配である。

仮にお金では助からないような難病を抱えた多くの人々の命が、少数の人々の命を犠牲にして助けられるとしたら。


私たちはそれを受け入れるだろうか?


「なぜ、何の罪も犯していないのにクジに当たっただけで、殺されなければならないのか? それは不当ではないか?」

そう反論する人もいるだろう。

だが、たまたま病気になった人だって何の罪も犯してはいない。命には等しく価値がある。であるならば、より大勢の命を救えるクジを実施するべきだ。その方が、健康な人だけでなく病人を含めた社会全体の幸福が増大するだろう。


無論この他にも様々な反論が考えられる*1。しかし、より多くの人々の幸福、社会全体の幸福を志向するのならば、クジ実施に反対する本質的な理由を考えつくことはおそらく困難である*2


しかし、それでも。


多くの人はこのクジに反対するだろう。それは、命の再分配によって社会全体の幸福を増大させるよりも、大切なことがあると信じているからだ。

*1:上記引用元では他に3つ例が挙げられている

*2:もし制度運用に伴う実際的な問題が排除されたとしたら、の話であるが