非モテに惹かれる理由

ガタガタ言わずに強くなるか「僕は全部駄目です」と諦めるかすれば?
非モテでいることの自由 ─ シロクマさんへの回答
第三の道


非モテ脱却のために、例えば服装に気をつけるとかコミュニケーションスキルを磨くとか、そういう努力をしている人を応援したいというのは、自然な気持ちだと思う。電車男とか。

でも、そこには幾許かの「優越感」が潜んでいる。アドバイスしたくなる、教えてあげたくなる、そういうときには少なからず「相手を見下している」気持ちがある。それはもう間違いない。


一方で、非モテ脱却と諦めの狭間で悩んでいる人を見るとき、そこに抱く感情は、自分の分身を見ているような、怖いもの見たさのような、あるいはある種憧れのような、何とも説明しがたいものだ。


現実の女性を諦める、という感覚はいったいどのようなものなのか? それを自分の身に置きかえて考えてみる。

そして気づくのは、自分が持っている「現実の女性に好かれたい」という思いが実のところ大して自慢できるものでないということ、そして、だからこそ、非モテに対してそういう複雑な感情を抱くのかも知れないということだ。

例えば、彼女や女友達が事故か何かで一切セックスの出来ない体になったら、あるいは顔が焼け爛れて二目と見られなくなってしまったら。そういう状況になったら、今の自分は、いったいどうするのか。どう振舞うのか。

それを考えると、非モテ脱却を「努力」なんて言葉で表してしまっていいものなのかな、と。そんな気がしてしまう。


いや、いいんだ。深く考えるといろいろ面倒になっちゃうし。思考を途中でやめるのにも、努力が必要だ。