普通の人

外食に出かけたときの話。

目当ての店はすごく混んでおり、店の外壁にずらっと並べられた椅子に何人もの客が座って順番を待っていた。入り口には順番待ちの客が名前と人数を自分で書き込むための名簿が掲げられていた。

私は食事のために並ぶなんて嫌いなのだが、と言うよりも混んでいる店で食事をすることが嫌いなのだが、同行者がその店に行きたがっていたのでまあしかたなく、名前と人数を名簿に記入し、空いていたそこらへんの椅子に適当に腰掛けた。


しばらくぼーっと待っていたのだが、ふと妙なことに気づいた。


店員が店から出てきて、次の客の名前を呼ぶ。呼ばれた客が椅子から立ち、店の中に入る。すると、そこより後ろに座っていた客も椅子から立ち、店に入った人数分だけ前方にずれて、座り直すのである。要するに、「前に詰めている」のだ。

名簿に名前を書いていてその順に呼ばれるのだから、行列に並んでいるという状態ではない。たまたま椅子が一列に並んでおいてあるので、行列のように見えるだけである。スペースを詰める意味は無い。自分の順番があとどれぐらいかは、名簿を見ればすぐに分かる。店員の声が届かないような位置にいるわけでもない。現に、椅子には座らずその辺をぶらぶらと歩いて順番を待っている客も幾人かいる。


立ったり座ったりするの、面倒くさくないのかなあ。なんで皆詰めるんだろう。そう思っていたところに、私の隣に座っていたオバさんが「詰めてよ」と言った。私に。

「名前を書いてその順番で呼ばれるんだから、詰めても意味無いんじゃないですかねえ」

私は世間話のような感覚で、そのとき思っていたことをそのまま何気なく答えた。するとオバさんは、かなり語気荒く、こう言い返してきた。


でも、普通詰めるでしょ!


私は。

私は、ぽかーんとしてしまった。アホみたいな顔でオバさんを見つめてしまった。オバさんは、少しばかり勝ち誇ったように、

「それが普通でしょ」

と重ねて言った。どうやら、このアホ面の男はみんなが普通にやっていることが理解できない頭の持ち主らしい、そう思ったようだ。

私はそれ以上オバさんとコミュニケートする気がなくなり、素直に椅子二つ、ずれて座った。(反対側の隣に座っていた同行者はとっとと先に移動していた。)


思い返してみると、あのとき私は、久しぶりに自分とかなり異なる価値観を持つ人間とリアルに接触したことで軽いショックを受けていたのだと思う。「普通であること」に価値を置くなんて、と素朴にびっくりしてしまったのだ。

無駄な労力を使わない方がいいという価値観と、「普通」に合わせて行動した方がいいという価値観、どちらが良い/悪いとは言えない*1し、例えばその点でオバさんと議論してみたところで、何ら得るものは無かったと思う。

たまたま椅子が一列に並んでいるからと言って、客が一組呼ばれるたびにいちいちみんなで立ったり座ったりするなんて「普通に考えれば」労力の無駄だ、と私は思っていた。が、それは普通の考えではなかった。椅子に座っていた人たちは、9割がたオバさんと同じように行動していた。普通はそうするのだ。オバさんは正しい。この話はこれで終わりだ。*2


が、こういうとき、私はふとマイノリティのことを考える。


私が、非常に年配で、立ったり座ったりするのが億劫な老人だったら、オバさんはどうしていたか?

私が、座っている見た目ではわからないが実は右足首に障害を抱えており、立ったり座ったりするのが辛い状態だったら、オバさんはどうしていたか?


前者の場合、普通の人は親切だから、きっと椅子に座らせたままにしておいてくれただろうと思う。

後者の場合、見た目では分からないからこちらから言うしかない。

「すみません、足が少し不自由でして、何度も立つのは辛いのです。呼ばれるまでこのまま座っていてもよろしいでしょうか」

オバさんは「しまった」という顔をして、「こちらこそすみません、どうぞ座っていてください」と答える。

どちらにしろ、そのときのオバさんの思考は下記のようなものだと推測する。


「この人は、普通の人じゃない。特別な人だ。だから、許してあげよう


そう、それが普通の人の考えだろう。

*1:ただし他者への強要が入るという意味では全く別の話だが、それについてはここでは置いておく

*2:詰めて座らないと椅子の空きが飛び飛びになるので大人数の客が来たときに離れ離れに座ることになってしまう、という側面もあるにはある