自由を大事にするなら

ルールやマナー、あるいは法律よりも、自由の方が大事である。だから下の記事には概ね同意なのだが。

スポーツの大会で歌わなかった観客は、処分されるべきなんですかね?
good2ndの日記 - 自由を大事にしない人の多さに驚く

そういう大会があっても構わない*1。歌いたくない人は観に行かなければいい。逆に、歌ったら退場って大会があっても一向に構わない。客は観たい大会を自由に選び、客の支持を得られないスポーツ大会は廃れ、そうでない大会が繁栄する。

ここで、国歌などの公的権力が、スポーツ大会で歌わなかった/歌った観客を処分しろ、と決めるのは自由の侵害である。そこをごっちゃにしてはいけない。

肝は、個人が自由に参加・不参加を決められるか(加入・脱退できるか)どうかである。

一旦日本国民になったら、思想・良心の自由に従ってそれを辞めるということは出来ないのだ。その点において、国民と社員は多いに異なる。
404 Blog Not Found: 国歌と社歌の違い


そして、この考え方から言えば当然、公教育は自由の侵害だ。

なぜならば私たち個人は、公教育の方針に賛成だろうが反対だろうが、税金と言うかたちで強制的にそこに参加させられるからだ。

公立学校に子供を通わせたくない親には、私立学校に子供を通わせる自由がある。しかしその親は、公立学校の授業料も税金という形で強制的に払わされている。子供がいない人は言うに及ばない。

他人の自由を阻害しない限り自由にしていい、それが近代社会の獲得した自由という価値だと思います。これって最も基本的な価値観のはずなのですが、それがあんまり大事にされてないんだな、と思って暗い気分になるわけです。なんだか。
good2ndの日記 - 自由を大事にしない人の多さに驚く


公教育を支持している限り、自由を大事にしているとは言えない。

多くの人が、一方では自由の大事さを唱え、もう一方では公教育の充実、すなわち公的権力の強化を口にしていることこそが、私を暗い気分にする。

*1:処分てのは、例えば即刻退場とかってことね。