金持ちが寄付をする理由


いわゆる「金持ち本」を読んでいると、欧米の金持ちは収入のうち一定の割合を寄付に回している旨が書かれていることがよくある。


金持ち父さん貧乏父さんロバート・キヨサキ (筑摩書房)

金持ち父さんは教育だけではなく、お金も人々に与えた。
(中略)
お金が足りなくなると教会や慈善事業に寄付をする。それが金持ち父さんのやり方だった。


ユダヤ人大富豪の教え本田健 (大和書房)

金持ちになった連中は、お金のなかった頃から収入の10%を寄付していた。


寄付は、金持ちになるための必要条件のように、前向きに書かれていることが多い。なぜだろう?

施しをすることで豊かな気持ちになれるからだろうか。富を還元することで、より良い社会を作るためだろうか。


一つ、理由を思いついた。


金持ちや、金持ちになろうとしている人は、貧乏人にチャンスを与えるのではなく直接モノや現金を与えることで、貧乏人がその地位から這い上がってくることを阻止しようとしているのである。


作家の橘玲は、その著書の中で生活保護についてこう述べている。


雨の降る日曜は幸福について考えよう橘玲 (幻冬舎)

国家が個人に直接、現金を供与する形態の社会保障は、どの先進諸国でも機能しなくなってきている。ひとたび生活保護を受け取れば、その収入に依存し、労働意欲を失ってしまう。


投資家ジム・ロジャースは、エチオピアを訪れた際に遭遇した西側からの食糧援助について、こう述べている。


冒険投資家ジム・ロジャース世界大発見」ジム・ロジャース (日経ビジネス人文庫)

西側のマスコミが最初に飢饉を報じて以来、大量の食糧が無償援助の形でエチオピアに流れこんでいた。わたしたちがラリベラ*1を訪れた初日に、毎月の定期船が到着した。国中の地方から、人々がロバの背中に揺られて街にやって来ていた。貧しい人ほどたくさん食糧をもらえたので、自分の持ち物を見せびらかそうとする人などおらず、皆、町の三キロ手前にロバを繋いでいた。そこから先は徒歩でやって来た。

(中略)

こうした光景の傍らで、ラリベラの周辺には肥沃な畑が耕す者もなく放置されていた。エチオピア人のまるまる一世代が農業を知らずに成長している。代わりに彼らは、毎月街へ行ってロバを繋ぎ、穀物を手に入れている。受け取った人の中には、その足で街の市場へ行き、それを売り始める者もいた。農業を知らずに育った世代に加えて、作っても売れないので農業をやめてしまった人たちもいるということだ。ただの穀物と競争していけるわけがない。


さらに、米国の教会組織を通して行われている衣料品の寄付について。

クリーブランドYMCAやシャーロット第一バプテスト教会などから贈られてくる大量のTシャツが、今や売り物として巨大な市場を形成している。アフリカの貧しい人たち向けに供出されたはずなのに、大陸に荷揚げされた途端、商品に生まれ変わるのだ。こうした品は途中で関わった者たちの懐を肥やすだけでなく、地元の仕立屋の仕事を奪う。仕立屋は競争していけないし、布を織る人や糸を紡ぐ人、綿を栽培する人など、仕立屋がお金を払う相手も皆やっていけなくなる。

(中略)

もちろん、私たちがアフリカの仕立屋にもっと生産的で自立した商売を営んでもらうつもりならば、彼らが作る商品を輸入しているはずだ。業界周辺の連中にとっては、そんなことをしてノースカロライナの衣料産業で働く人たちの仕事を脅かすよりも、ただのシャツを送りつけて現地の人たちに商売を諦めさせ、もっとたくさんの服を送れるほうがいいのだ。


つまり、金持ちが金持ちのままでいるためには、寄付をしたほうがいいのだ。

そしてもっといいのは、他人にも寄付を呼びかけることである。

*1:首都アジスアベバの北200マイルに位置する都市