「酒を飲めないなんて、人生の半分を損している」

私は酒が弱い。一滴も飲めないということはないのだが、たいていの酒でグラス一杯ですぐに赤くなってしまうし、酒を美味しいと思ったことも、酔っ払って楽しいと思ったこともない。


「酒を飲めないなんて、人生の半分を損している」


最初にそう言ったのは誰だか知らないが、その言葉を実生活で聞いたことがある。*1


下戸の人は開き直って、「人生の半分が酒だなんて逆にかわいそう」とか「酒以外にも人生の半分を満たすに足るものはたくさんある」とか「酔っ払いは氏ね」とか、まあ色々と言うわけだが、私としてはやはり酒を飲める人がうらやましいし、友人や彼女と美味しくお酒が飲めたらどんなにか人生が楽しいだろうと思う。

それに、フレンチやイタリアンなどの料理の一部は、酒(ワインとか)を飲みながら食べることを念頭に入れて作られている。酒を飲んだら料理の味がわからなくなってしまうので、つまり私は永遠にそれらの料理の本当の味を楽しむことは出来ないのだ。*2


半分かどうかは知らないが、人生の幾分かは、確かに損していると思う。誰かに言われるまでもない。



ドラえもんの道具で、「ありがたみわかり機」というものがある。

ドラえもんの道具 (あな-あん) - Wikipedia

機械が作動し始めると、起動ボタンを押した人間と、特定の物との関連を断たれる。例えば「空気」と言いながら起動すると、起動者の周りから空気が無くなり、吸気できなくなる。

要するに、「何かを失ってはじめてそのありがたみに気がつく」を文字通り実行する機械だ。


酒が飲めないことの辛さは、多分酒を飲めない人が一番良くわかってる。いまさら酒を飲める人に何かを言われても、表面上は「それはそうですねえ」としか返しようがない。



小学校の頃、先天性筋ジストロフィーを患っている同級生がいた。彼は当時走ることができず、ゆっくり歩くのがやっとだった。


「自分の足で走れないなんて、人生の半分を損している」


大人に比べ他人の気持ちに無頓着な小学生の頃でさえ、彼に面と向かってそんなことを言う人間はいなかった。


当たり前である。

なぜならば、自分の足で走りたいと誰よりも強く願っていたのは、紛れもなく彼自身であったからだ。そのありがたみをわかっていない人間が、どうしてそんな言葉を発せられよう。たとえそれが、本当のことであったとしても。


それでも、酔っ払ってさえいれば、何でも言えてしまうし、許されるのだろう。


つまり。やはり酒は飲めた方が得なのだ。


参考
The Neverending Mystery BLOG - 僕の人生は損なんてしてない

*1:美味しんぼ」で山岡さんもそう言ってた気がする

*2:どんな高級なレストランに行っても、私が頼むのはガス入りミネラルウォーターである